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世界で活躍する同窓生からのメッセージ(敬称略)
木村 眞一 (昭和46年卒) フィリピン ジェネラル・トリアス市在住

 

 工場外観

 私は昭和46年に朝日高校を卒業。現在、フィリピンにある当社の三番目の海外工場の責任者として日夜奮闘しているところです。工場はマニラ市郊外にある工業団地の一角に位置しています・

 フィリピンという国は、歴史的には新しい。15世紀にマゼランが世界一周を企て、教科書にはその偉業を達成したことになっています。しかし、実際はその冒険旅行のさなかにこのフィリピンの中・南部を治めていた「ラプラプ王」と戦い、敢え無く討ち死にした場所であります。
 その地に工場を設立しようと計画が持ち上がったのが1996年、丁度10年前のことです。その設立検討委員会メンバーに名を連ねたことが結局最初の赴任(1997年〜2001年)につながり、今年7月奇しくも再びこの地に舞い戻った訳です。


【フィリピンを選んだ理由】
・海外進出先決定のプロセス(1996年当時)

 工場内部

 

 アジアの中では、「マレーシア、タイ、インドネシア、フィリピン」が候補地で「ベトナム、インド」はまだ俎上に上らず、「中国」は「華南地区における委託加工」が始まりを見せていましたが、共産主義の国であるとか、税制面での優遇策がはっきりしないとかで対象外になりました。
比較した項目は、1.労賃、2.文化や習慣、3.宗教、4.優遇制度、5.日本人の居住地域と工場との距離、6.ロジスティックス、7.言語、8.労働者の量や質 等々。

 しかし、上記4カ国では、これらは大なり小なりほぼ同じでありました。
しいてあげれば、3.宗教でイスラム圏は食堂のメニューや礼拝に気を使うであろう。7.言語はいわゆる「その国の言葉」が日常用いられ、日本語や英語を話す基幹社員は人材難で、給料はかなり高額。その中で、唯一米国の影響から英語が公用語となっていたのがフィリピンだった。

仕事柄中国にもたまに出かけますが、「ストップ、ストップ」と言っても通じないタクシーの運ちゃんや、はたして通訳は本当に正しく訳しているのか疑問に思っても理解できないもどかしさ。そして常に倍の時間(通訳を介する会話)を用意しておかなければならない非効率。

 これを経験するとフィリピンは本当に楽だと実感します。さらに同じ英語を話しますが、日本人を低く見ているアングロサクソンとは違い、フィリピンの人たちは、戦後見事に復興を遂げ、世界でも有数の技術立国となった日本を尊敬と羨望のまなざしで見てくれるので、私達にとって非常に心地良い思いがします。
  鉄道脇の不法居住者

【そのフィリピンでのこぼれ話あれこれ】

@ 「ネクスト・タイム」という性癖
 「こんな風にしたらもっとよかったのに」と期待外れの対応にクレームをつけると必ず「Next Time!」と答えるのが常ですが、それは「次回には必ずやります」と宣誓したものではなく、その場しのぎの言葉です。次に同じことがあってもまた「Next Time」と言い続けます。



 街の食品売り場

 

A なくなって初めて「なくなりました」という管理能力の欠如
 「プリンタ用紙がなくなりました」とコピーできなくなってから言って来る。生産管理でよく勉強する「安全在庫、発注点管理」をオフィスのスタッフにも教えなければなりません。

 最初の赴任は家族帯同だったが、その時雇っていた我が家のメイドも同じで、夕ご飯の支度を始めると『お米がありません』と言って来る。「お昼の時は?」と家内が尋ねると「ありました」と平然と答える。

 うーむ、間違いではない。最後の1カップだったかも知れないがその時にはあったのは事実。しかし、「晩御飯の時には危ない」と気にしないおおらかな性格。

 現地エンジニアと

B 誰の腕時計も同じ時刻を指していない時間感覚
 この時間に集合!と言っても指定した時刻に誰も現れない。日本への研修派遣の直前だったので「日本では列車の運行に代表されるようにいかに時間どおり行動することが大事か」を教え、「あなた達はいったい今何時だと思っているのか」と皆の時計を覗き込んだら、「まあこれだけばらばらにどうしてなるの」というぐらい誰の時計も同じ時刻を指していないし、誰の時計も私の時計の時刻と合っていない。

 出張先でもホテルのテレビでNHKの定時ニュースで、時差も考慮し腕時計が正確かをチェックする日本人は「そっちのほうが変」と言われるかもしれません。

 また、彼らの時計はすべて進めてあって「安全率を盛り込んでいる」ように見えるが、結果として、その安全率はまったく生かされていません。

 フィリピンの工場で鳴る始業、就業などのチャイムも少しずつ、それも安い時計ゆえあっという間に狂い始めた。「お〜い、チャイムが遅れているぞ!」。しかし、連続操業をしているので、どのタイミングで合わせるか、少し考えさせてほしいと従業員に言われ、その内待ちくたびれて自分の時計を会社のチャイムに合わせた。これが素晴らしくストレスの解消に結びついたから不思議。

        

 地域との繋がり、イベント

C 最初から最後まで王様でいられるマック
 日本や米国では、ハンバーガーのマクドナルドに入ると「いらっしゃいませ!」と笑顔で迎えられるが、王様気分でいられるのは、オーダーし、注文したものを受け取るところぐらいまでで、食べ終わったら、自分ですごすごとトレイやカップを配膳口に運ぶ。まるで奴隷になったように。それが、フィリピンでは最初から最後まで王様でいられます。
人件費が安い、雇用機会を多くの人に与え、ちゃんと掃除の人がいるからである。
それに慣れて育った従業員は当初、会社の食堂で食べた後、汚した食器を残したままで席を立つ人がいっぱいで、その教育も大変でした。


 代表的な料理

 

D マネージャーまで給与は「月に二回に分けた支給を望む」意図は
 従業員への給料の支払いは二形態あり、日本からの出向者、現地のマネージャーは月一度25日に、一般社員は二週間に一度(5日と20日)賃金が支払われる。但し、試用期間(6ヶ月)中はマネージャーも二週間に一度のパターン。晴れて正社員になった時に、「これからは給与は月に一度25日にお支払いします。」というと、恥ずかしそうに小さな声で「すいません。今までのように月二回にしてもらえませんか」と言い出す。もらうと一度に使ってしまうという無計画さを自覚していて、対策は小分けにしてもらうこと。

 因みにすでに月に一度の月給制にしている他のマネージャーに「貴方達は?」と改めて尋ねると全員に「月二回に分けて下さい」といわれ、びっくり。

E 日本の中古のバスがそのまま行きかう国
日本からずいぶん中古のバスが、フィリピンに送られ「ハンドルや乗降口を左右入れ替えて」走っている。田舎のバスの日本語の「行き先」がそのままで、さらにボディの宣伝や「乗務員募集中」などといったバーナーもそのまま。取り分け故郷の「両備バス」が走っているのを見たときは大感激。出張でフィリピンに来る日本人達がそれぞれ自分の故郷のバスをこの地で見つけると大抵、歓声を上げる。
 庶民の足 ジプニー

 朝日高校時代は、理科系を志望し、その道に進んだが、ある時を境に海外の仕事に多く携わるようになり、今使っている英語の力はほとんど高校時代に培われたものです。そう言う意味でこの道に進むきっかけになったかもしれないのは、英語の中川先生に常に励まして戴いた事で、今でも大変感謝しています。
京浜同窓会でいつかお目にかかれるかと楽しみにしながら参加させて戴いていましたが、夢かなわぬ内にまた海外勤務となったのが残念で悔やまれます。
 また数年後に帰任した時にお会いできることを楽しみにしている今日この頃です。


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