● ワールドリレー ●

世界で活躍する同窓生からのメッセージ(敬称略)

梶浦 徳雄 (昭和45年卒) オーストリア在住

ここはウイーンですカ?

楽友協会の大ホール

  朝6時頃目が覚めるンですネ。デ、アトリエに入りまして煙草をプカ〜。我が家唯一の喫煙室でして。デ、暫くボケーとしまして、コーヒーを入れに台所へ。コレ、正しい?私の一日の始まりでして。少々遅かったですけど子供も出来まして、今10才。この9月からギムナジウムと言う8年制の学校に行くようになりましたヨ。ココ生まれのココ育ちですンで、バイリンガルとか言うンですかネ。マ、取り敢えず平和に暮らさせて戴いておりますヨ。

 最初は1981年でしたネ、ココに来ましたのは。ナンと三十路にして初めての海外。当時航空券は今よりかなり高かったンですよネ。デ、お金もあまりありませんでしたので電話帳片手にアチコチ安い航空券を探しましたヨ。デ、今では物好きとしか言いようのないソウル&チューリッヒ乗り換え途中2〜3度の息継ぎ付き南回りの片道キップ。
33時間掛けて華の都へ。デ、12万ン千円でしたかネ。

冬の風景

 飛行機がヨッコラショと最後の着陸をしたのは夜10時半頃でしたかネ。デ、窓からお外を見ますと管制塔トカいうモノが。デ、横には貧弱なホッタテ小屋。アレ?・・・コレッて一国の首都の空港?・・・テナ疑問が湧きましてネ。デ、タイトルの言葉になるわけでして。無理やり降ろされたンですけど、取り敢えず入り口には「WIEN」の文字がありまして、ホッ、と。今じゃこんなお金が何処にあるンだろうテナぐらいに増築、改築が進 んでまして大変立派な国際空港らしく。街中もお国関連トカのモノはお金に糸目は付けず状態でして。何処も同じようなモンですかネ。

 デ、最初の滞在は1年少々。4年後、1986年ですネ、夏の終わりに舞い戻って来まして、デ、今まで永々ト。オヤ、モウ20年?時間経過の実感テノが殆ど無いンですよネ、 私。デ、20年トカ考えますとナンだか焦ってしまいますネ。その間いったい”ナニ”をやってたンだろう、ト。

  デ、コッチで何をやってるかト申しますと「美術作家」トカ言うモノでして。取り敢えずイロイロな素材、金属、木材、紙、絵具トカトカですネ、を弄るンですヨ。ト、平面的なモノとか立体的なモノとかが出来ちゃう訳ですヨ。これらを一応「作品」などト呼んだりする訳でございまして。デ、展覧会、個展トカグループ展トカいろいろありますけど、トカをやらせて戴きまして無理矢理お見せする訳でして。マ、見たくなきゃ目を閉じるとか端から来ないとかありますけど。デ、あわよくばお買い求め戴きまして、ヨカッタヨカッタ、ト涙したりするワケでございます。 

大観覧車
映画第3の男にも出てきます

 デ、美術でナンでウイーンなの???・・・?ト言う質問はよく戴くわけでして。パリと かローマとかニューヨークとかですとこういうご質問もあまり無いかと思いますけど。デ、お答えは「タマタマ」トカでお許しを戴いてまして。マ、ココに来る切っ掛けも人の繋がりが「タマタマ」コッチ方面に向いていたトいうことでして。デ、ナゼ20年もト言いますと「タマタマ」私の腰が重かったからカモでして。マ、のんびりボーッと出きることは確かでして、田舎要素的都会という雰囲気、状況が「タマタマ」私に合っていたのカモで してネ。ナカナカ良い街トカ良い国トカいう印象はありますネ。知り合う連中もホント良いヤツらばかりでして、これも「タマタマ」カモ知れませんですけど。デ、こんなトコで すから制作が出来るのカモでして。

 デ、ウイーンですけど”音楽の都”ナドと世間では言われてるそうでして。確かにコンサートホールとかオペラ劇場トカは街中至る所にありまして、皆その間をすり抜けながら生活したり歩いたりしてるンですヨ。マ、勝手な印象ですけど。デ、各家庭には必ず楽器 トヤラ。ピアノにチェロにバイオリン。ラッパ各種に太鼓に銅鑼。ギターにチターにナベ シャモジ。コントラバスを振り回しチューバ片手にラリアット。毎日アチコチでホームコンサートが開かれてましてネ・・・タブン。
国立オペラ劇場玄関ホール

 私もコッチに来まして演奏会ですとかオペラですとかに行く機会が沢山。良い演奏ですとかオペラですとかを聴きながら寝るのは最高の贅沢の一つカモと思ったりも。身体を壊しそうなヤツもありますヨ。結構敏感な体質らしく、私ですけど、聞いてる途中にアレッ体調が・・、デ、2、3日熱を出して寝込んでしまった事も2度3度。皆様も妙なのを我慢してお聞きになるのはご注意・・・・・カモでして。

 デ、今ココ、オーストリアて国ですけど、この名前ですけど知ってました?、未だにドイ ツのウイーンて言う知人がいましてネ、には1700人少々。デ、ウイーンには1300人少々トカ。住んでらっしゃる日本の方々の数ですけど。コレ、在留届トカを大使館に出 してらっしゃる方々がでして。・・・・だから、・・・ので、・・・・・ですンで等の理由で届けを出してらっしゃらない方々も多々のようで、長期滞在、3ヶ月以上滞在を言うそうでして、者と呼べる方々は2000人は越えるカト。デ、その多くが音楽関係の方、6割以上???、かと。毎年多くの方々が遙々海を渡り空を越えお勉強トカにいらっしゃる訳でして。デ、こちらでイロイロと音楽の活動される方、良き?パートナーと出会い幸 せな家庭を築く方、全く別のお仕事を見いだされ御活躍の方トカトカ様々ですけど、皆様頑張って、カ、のんびりと、カ存じませんけど、お暮らしになってらっしゃいますヨ。
仮装の日の小学校
2人は先生でしてこの恰好で授業です
娘の入学の日

カミサンのコンサート
 因みに私のカミサンもその1人でして、お歌の伴奏トカいう怪しげな?事を生業としてま してネ。毎日何人もの歌手の方々がレッスンとかにいらっしゃいますヨ。学生さんからも うあちこちで歌ってるプロの方まで。趣味の方もいらっしゃいますネ。今も隣のお部屋で どなたか歌ってらっしゃいますヨ。マダムバタフライですかネ。まだこれからの方ですか ネ。レッスン中トカかなり大きな音、声、も出ますンで下手すりゃ単なる近所迷惑。マ、理解ある隣人の方々に恵まれまして取り敢えず苦情もなく嬉嬉でして。

 次に多いのがもしかしてお役所関連の方々でしょうか。大使館関連の方ですとか、国連トカもココにはありますンでソッチ方面。日本人学校ナンてのもございますネー。デ、企業関係。一時期は100社程もあり数人ずつ日本からいらして賑わってたトカ。今じゃその半分以下。以前は各事務所共数人の日本からのお方がでしたけど、今はお一人だけがという所が増えてきましてネ。マ、時代トカ状況の移り変わりですネー。皆様良い所にお住まいですヨー。数年でお帰りになるのが通常ですからせめて・・でしょうか?正体不明テ方々も勿論のようにいらっしゃいまして。世間から見りゃ私もその1人でしょ うけど。

 デ、美術関係の方々ですけど全部で20人いるかどうかでしょうか。最近の学生さん、留学の方ですネ、はよく知りませんのでもう少し多いかもですけど。古くは1960年代からの方もいらっしゃいまして活躍なさってますヨ。
 
 私の場合結構ラッキーでして、1986年改めてコッチに来ましてすぐに画廊での個展をやることが決まりましてネ。
何故ラッキーかテ言いますと、まず、こちには貸画廊テノはありませんでネ。最近はらしきモノもチラホラ。画廊の主が作品トカを気に入り、ここで作品を展示し売ってやろうト。その代わり売り上げの何割かは私が貰うヨ、トなるわけでして。
お互い生活がかかってる。デ、展覧会期間は1つ4週間程。つまり1つの画廊で1年に10〜11回しか出来ない訳ですよネ。
デ、それぞれの画廊はそれぞれ何人も作家を持ってましてネ。新たに入り込むのはそれなりに大変ナンでしてネ。デ、コッチに来た当 時、作品と作品資料を持って「ドナイナモンデッシャロ」と毎日画廊廻りをやりましたガナ。
他の作家達も皆セッセセッセと頑張ってますヨ。 お陰様で毎年幾つかの展覧会をアッチやコッチでやらせて戴いてまして、作品も少しずつ買って戴いてまして、マ、ナンとか。日本でもほぼ毎年展覧会をやってますンで何かで見 かけたら立ち寄ってくださいネ、ト宣伝。

 作品弄りばかりじゃなく他にもイロイロやらせて戴いてましてネ。映画トカTVドラマのエキストラ、広告のモデルとか結構面白いですヨ。小遣い稼ぎにもなりますしネ。日本に いたんじゃマズやる機会はないでしょうネーこんな事。「男はつらいよ」にも出てますンで良ければ探してみてください。旅行会社のお手伝いもさせて戴いてますヨ。コレ貴重な収入源。
コッチのお城での展覧会風景
 
  デ、コッチ地方にいらしたときの楽しみ方。名所旧跡、コリャ適当に廻ってください。ガイドブックを見ればある程度正しい説明も載ってますンで。それよりウイーン市内でしたら路地の散策ですネ。これがナカナカ良いンですヨ。気ままにアッチをフラフラ、コッチ にトコトコ。オヤ、ナカナカ素敵な石畳。チョットそこの茶店でコーヒーでも。
私の気に入ってる路地風景2枚 広告塔

大型ポスター
 大型ポスターや広告塔の見学ツアー。
勝手に見て回るだけですけど。街の至る所にありますから。これもウイーンの伝統的風景。ただ、足元には注意してくださいネ。犬の落とし物が点々とありますンで。これも伝統的風景・・カモ。
 後、古物屋廻りも良いですネー。
時代の移り変わりを感じられますヨ。思わぬ出会いがあるかもでして。
画廊巡りも良いですヨー。日本とは違った空間、雰囲気がありまして、ト、コレも宣伝込み。

 ウイーン以外ですとバード・イシュルて町のホテル。「ヴィラ・シュラット」ていうのがあるンですヨ。皇帝フランツ君の恋人だった昔の名女優さんの別荘だったトコ。裏の川沿いの散歩道をフランツ君が自分の別荘からテクテクお散歩して来たンだとサ。ナカナカ雰囲気な散歩道ですヨ。機会があれば是非是非。お部屋が4ツしかない小さな所ですので静かに雰囲気に浸れるカモ。

ホイリゲ
新しいワインが飲める居酒屋さんですネ
街のメインストリートにある公衆トイレの入り口
夕焼け
  
 
 
  まだ少し残ってる城壁跡

 オヤ、チョイト長くなってしまいまして。イヤー、モット書きたいンですけど、取り敢えずこの辺でやめておきますネ。マ、我が家は平和な日々ですけど気になる事と言えば日本のジイサンバアサン。私のお袋とカミサンの両親がいますので放蕩の些細な罪滅ぼし?に毎年帰国して孫の顔を見せてはいますけど。

皆様も一度コチラにいらしてください。良いトコですヨー。私ももう少しはコッチにいると思いますンで。

 
岡山朝日高校同窓会公式Webサイト