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世界で活躍する同窓生からのメッセージ(敬称略)
広瀬 一郎  (昭和53年卒) スペイン バルセロナ市

スペイン・バルセロナから

 夜のバルセロナ 自宅バルコニーからの眺め

 私が現在住んでいる、というとやや大げさですが、年のうち4、5ヶ月を過ごしているバルセロナ市を州都とするスペイン・カタルーニャ自治州では、大半の人々は「スペイン語」を話しておらず、カタルーニャ語という、どちらかというとフランス語の仲間の言語を話している。

 十年以上昔のことだが、南米と北米に合計一年ずつ住んだことのある私は英語とスペイン語は何となくできるが、現在の家内である画家のマルタが家族と話す言葉が、最初の年にバルセロナに行った頃はさっぱりこん理解できなかった。

 このカタルーニャ語という言語、現代の南フランスにも残っており、北はプロバンスのニース、中南部のトゥールーズでも「オック語」という別名称で、じつはカタルーニャ語とほぼ同じ言語がフランス語と併用されているのである。(ということをバルセロナから北へ車で二時間、フランス国境を越えて幾度か旅行しているうちに知った)

 実際南仏とスペインカタルーニャ地方の人々は容姿も良く似ており、街並みや古城、教会の形もうり二つである。これは理由があって、ちょうど日本の奈良時代から江戸時代の頃(8世紀から18世紀)まで、千年以上にわたって南仏とカタルーニャは一つの国のような連合州(複数のカタルーニャ系伯爵領)として人々が陸路と海路で行き来していたからである。

 その後、戦争に巻き込まれて北カタルーニャはフランスに、南カタルーニャはスペインに併合されてしまい、現在の2001年にEUになってから国境の検問が無くなったので、車でフランスへ入るときは、岡山から東に向かうとき、ここから兵庫県、と看板で表示されるように高速道路沿いに「フランス」という標識を横目で見ながら、あっけなくフランスへ行ける。

今年10月に京都(銀閣寺)の画廊で行ったマルタ(左から3人目)の個展。
4人のカタルーニャ人が応援に駆けつけてくれた。筆者右端。


 そのせいか、バルセロナでもフランス人を多く見るし、フランスの観光地へ行くとスペインナンバー(多くはカタルーニャ)の車ばっかり、といった光景があたりまえに見られるようになっている。


スペインでは公用語が4つ


 家内は日本語をバルセロナで2年間勉強して、画家としての作品の個展のため、日本に来るようになって15年だから、日本語がかなり話せる。

 それでも「次はいつ“スペイン”に帰るの?」とか「マルタさんはフラメンコ踊りますか?」という質問を友人たちから(悪気なくぶつけられると)内心で少々ムカついているようなのでご注意されたし。カタルーニャ州では闘牛やってないし(法律で禁止されている)、街角でフラメンコを踊るジプシーダンサーもいない(観光客向けにフラメンコショーを見せるレストランは数軒ある)。

 バルセロナはなんといってもガウディ、そしてサッカーチームのバルサ!昨年のワールドカップで優勝したイレブンの8、9人がバルセロナの選手で、優勝した際、プジョル選手はじめ数人がスペイン国旗ではなく、赤と黄シマシマの「カタルーニャ国旗」でピッチを走り、テレビで見ていたカタルーニャ人たちは溜飲を下げたのである。

 そして美しい地中海、オリーブや松の林。かすかに雪をいただいた3000m級のピレネー山脈等々がカタルーニャ本来のイメージ。音楽家のパウ(「パブロ」はスペイン語読み)カザルス。声楽のジョセップ(ホセではない!)カレーラスは日本でも有名ですね。

 日本の1.4倍の広さに7000万人が住むスペインは、大雑把に5つくらいの人種構成となっている:

 北のカスティリャーノは色白でぬーっと大柄なケルト・ブリテン系(マドリッドの支配層や貴族にも多いタイプ)

 南は北アフリカの血の濃いアンダルシア人(アントニオ・バンデラス、ペネロペ・クルスなどの「浅黒」系)

 フランシスコ・ザビエルでおなじみバスク人(なぜか東洋人ぽい容貌の人が多い)

 南仏・北イタリアと同じく地中海系のカタルーニャ(ローマ、ゲルマン系西ゴート族、ギリシャ、北アフリカの混血)

 小柄なポルトガルっぽいガリシア。

 そして大まかに4つの言語が話されている。

 もちろんカタルーニャ地方はカタルーニャ語(くどいですが、方言ではなく別言語。イタリア語、フランス語と等しい。スペイン語だけを話す「スペイン人」には理解できません)。

 ポルトガルの北ひがし隣は(やはりポルトガル語に良く似た)ガリシア語。

 大西洋のフランス寄りからアラゴン州(カタルーニャの左隣)の手前バスク自治州とナバラ州ではバスク語(これはヨーロッパ系の言語ではない。北アフリカ出自といわれていて、バスク人以外にはチンプンカンプン)。

 そしてマドリッド中心のカスティーリャ地方では、中南米でも同じ言葉(ただしイギリス英語と米語くらいの差はある)が話されている、おなじみカスティーリャ語=スペイン語・・


 ここまで読んで下さった方、「話をややこしゅうすな」。

 「スペインいうたらスペインじゃろう」と思われる向きもあるかもしれない。へいへい、一週間か十日くらいの旅行でバルセロナやマドリッドに行かれる場合はそれでよろしいかと思うんですが、ことバルセロナ、カタルーニャ地方に「住む」となりますと、そがーなわけにゃあいかんのじゃ。たとえば、広島市に住んで四、五年にもなる岡山人が「こかあ、おきゃーま弁がどねんでもつーじるけえ、ぼっこう住みやしーがな」という調子でやってると、何年たっても友達ができない、という状況に似通っているかも。


カタルーニャ(首都バルセロナ)生活の醍醐味

 日本のように四季がはっきりしていて、海(地中海)、山(ピレネー山脈)のダイナミックな自然を満喫することができる。とくにバルセロナ(日本の青森くらいの緯度だが暖流の影響で暖かい)は冬は寒すぎず、夏は暑すぎずで、瀬戸内地方の気候と似ており、私のような典型的「岡山人」には大変過ごし易い。

ピレネー

 また歴史的な建築物や遺跡が各地にあって、古くは日本の縄文に相当するイベリア人の遺跡、その後のフェニキア、ギリシャ、ローマの遺跡、ロマネスク建築、ガウディ等のモダニズム建築等、地中海・西洋文化の源流を、バルセロナの市内を散歩するだけでも、みっちり見て、悠久の時の流れを感じることができる。

 またスペイン国内でも、とくにカタルーニャ人は親日的。その理由は、つねにスペインからの独立を志向してきたカタルーニャ自治州(九州と同じ面積)は10分の1の人口なのに、スペイン全体の4割の税金を収め、ベルギーやデンマークを上回るGDPを稼いでいる。

 そんな「カタルーニャ語を話すカタルーニャ人の国」=カタルーニャ自治州と、米国と中国という超大国に挟まれて翻弄されながらも、東洋の小国日本の全員が日本語を話すことへの親近感に加え、非常に高度なテクノロジーを生み出しながら、同時に、多くが世界遺産指定されている大自然・神社仏閣を千年以上保っている日本人への尊敬と、ちょっぴり羨望の気持ちからきているようである。


外尾悦郎さんのアドバイス

 家内のマルタは芸術家ですが、同業ということで親しくさせていただいている外尾悦郎さんは、バルセロナに30年以上住み、ガウディのサクラダファミリア教会の主任彫刻家を務めておられ、最近日本のテレビコマーシャルにも登場する有名な方。彼とはじめて同教会内の工房でお会いした際に、私がマルタの芸術活動のプロモーションと芸術関連イベントのプロデュースをしているのを知って、いくつか<いまも仕事を行う上でとても役に立っている> 貴重なアドバイスをいただいたので、ここで披露いたします。

7月、パンプローナ(スペイン)の街角で

 「ヨーロッパの人たちは日本人の話なら必ず耳を傾けて聞いてくれる。自信を持って、自分の考えを堂々と話しなさい」

 「地中海には限りが無い。果てがない。ここは巨大な混沌である。したがってルールは一切ないと思え。あなたがルールを作るのである」

 「ガウディという天才建築家が、130年前に設計したサグラダファミリア教会は、当時は混沌とした地方都市だったバルセロナに作り始められ、現在では最大のシンボルとなっている。サグラダファミリアがなければ、今のバルセロナの繁栄はない」

 「あなたも何かのシンボルを作って下さい。シンボルを作るには、何が必要か?あなたがルールを作り、『るつぼ』を作ってください」

 「るつぼには異物が必要。あなたが異物になりなさい。るつぼが出来たら、自然に人が集まり、資金が集まり、やがてシンボルが完成する」
 

現在の活動

 というわけで、現在私はシンボルとなる仕事を少しでも地球上に残したい、と考えて(ちょっと大げさですが)、あちこちを駆けずり回っている。今年(2011)の1月からの移動・滞在した町を列挙すると、

1月 倉敷 大阪 フランクフルト(ドイツ) アスンシオン(パラグアイ)

2月 大阪 倉敷 高松

3月 広島 倉敷 岡山 (東京は11日に行く予定が震災でキャンセル)

4月 大阪 倉敷 丸亀

5月 バルセロナ ニーム(フランス)

6月 バルセロナ オルテース(フランス)

7月 バルセロナ パンプローナ シブール(フランス)

8月 バルセロナ バレンシア(スペイン)

9月 大阪 倉敷 広島 高松

10月 名古屋 京都 倉敷 丸亀 松山 大阪

マルタの先祖が作った南仏オルテースの城

 いま「るつぼ」が作れそうな町がいくつかある。その一つが、フランスのオルテース。ピレネー山脈の北西、大西洋に近いガスコーニュ地方と呼ばれるフランスのバスク地方の小都市である。

 ここで、シャトー・モンカーダという、家内と同じ名字の遠い先祖が800年前に作った城跡の塔を3年前に初めて訪れた。

 カタルーニャ人も知らない、昔のカタルーニャ人が作った南西フランスの小さな城塞都市である。いまも、カタルーニャ語の一種であるベアルン語を話すお年寄りたちも住んでいる。(残念ながら若い人たちはフランス語しか話せなくなっている)

 ここで来年か、再来年、日本とカタルーニャのアーティスト、音楽家を招いて芸術祭を行う、というプランを、すでにこの夏この町の市役所の文化部長と話し合っている。予算はキビシいようだが、何とか一発目を立ち上げたい(一回目が成功すれば、二年、三年と続けられる)。

 直近では、この11月8日から五日間、倉敷市玉島で面白いイベントを私のプロデュースで行う。

 妻のマルタがアーティストの代表で、その他スペイン、フランス、日本(京都、岡山、香川)の造形作家やガラス作家、有名なミュージシャン(SKIIのCMでおなじみのギター&バイオリンデュオのジュスカ・グランペール、西アフリカのパーカッショニストマムドゥ、三味線の松永鉄九郎)たちを招く。

「玉島み(ん)なと国際芸術彩」ポスター

 場所は玉島の港に近いレトロな商店街、映画『三丁目の夕日』のロケ地でもある通町(とおりまち)のアーケード街をステージにして、「玉島み(ん)なと国際芸術彩」という大人から子供まで楽しめるアート・音楽・食の祭典である。

 夜はLEDと行灯の「灯りアート」で、最終日の12日土曜日はバルーンアートのパフォーマンス、ブラジル料理、カタルーニャ料理、アフリカ料理をご賞味いただけるテント村も出現します。

 これからもバルセロナと倉敷を拠点にして、地中海と瀬戸内海を動き回りながら、私とマルタは一生懸命、アート活動をがんばってまいります。

 いつか、どこかで朝日の同窓の皆さまとお会いする日を楽しみにしております。

   広瀬一郎


関連サイト

マルタのブログ
 http://martaronja.exblog.jp

今年の7月12日 FM東京の番組でバルセロナから電話出演した際の番組ブログ
 http://www2.jfn.co.jp/blog/wfn/2011/07/post_329.html

倉敷市国際課「マルタの愛するクラシキ」
 http://www.city.kurashiki.okayama.jp/dd.aspx?itemid=30502#itemid30502


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