● ようこそ!岡山朝日高校同窓会のページへ! ●
国内で活躍する同窓生(敬称略)
岡田(津田)佐和子 (昭和 54年卒)    福岡県福岡市在住

九州便り

桜島を背景に

 まずは、東日本大震災で被災された同窓生の皆様にお見舞い申し上げます。

 今回岡山から南下している同窓生が少ない様で、極々平凡な主婦の私に依頼がきてしまいました。何から書き出せば良いのか・・・ 


 とりあえずは朝日高校時代の思い出から・・・

 勉強は早々に諦め、うどん小屋での新聞部活動と言いつつの大貧民なるトランプ三昧、そして真っ黒に日焼けしつつの野球部マネージャー業、(あの頃はとっても弱く入部した時33連敗中だった)ただ、邪魔をしていた様な・・・

 でもとっても楽しくマネージャー仲間と「誰先輩がカッコいい」とか今風に言うガールズトークで盛り上がっていました。

 伝説の体育祭、仮装行列で燃えたマジンガーZ、自分のクラスでないにも関わらず動画のように脳裏に焼きついています。そして、紙飛行機、トイレットペーパーが飛び交った生徒総会、Y君の演説、熱かったし若かったですね。

 その後の人生で出会うこともないような個性的な先生、友人、先輩、後輩、との出会いが朝日高校で最大の収穫と、今も思っています。ビリを争ったような成績でもちゃっかり朝日出身の誇りがどこかにあるのかもしれません。 

 朝日高校を卒業して30数年、そのうちの20数年を九州で、考えたら人生の半分が過ぎています。最初に九州に住んだのは仕事の転勤で北九州に1年間、次いで沖縄で1年間。そこで、なぜだか九州に住み着く原因となる夫と出会い今日に至ります。

 結婚当初から、県内での転勤は有りましたが、トータル15年間宮崎でのんびり生活していました。宮崎は最近でこそ東国原前知事で随分メジャーになりましたが、本当にのどかな所で農業と畜産でほぼ成り立っており、気候も人間性もとても暖かく物価も安く、もう少し交通の便さえ良ければ永住も考えたい、と思える土地柄でした。 食べ物も都会的な物を好む方にはそぐわないかもしれませんが、チキン南蛮、つわ蕗、芋がら、素朴ですが豊かな食生活ができました。

サボテン公園 生駒高原(霧島)のポピー

 今はなきシーガイアで泳ぎ、巨人、ヤクルトのキャンプの見学、春はフラワーショーが恒例で行われ、街中が花々で彩られ心が弾みます。そこで子育てできたのはとてもありがたかったと思っています。ただ日向(ひゅうが)時間はあまりにのんびりながれるので,待つのが苦手な方は要注意(笑)かもしれません。
 

桜島の前で子どもたち

 そしてそれから5年間は桜島を抱く鹿児島市で、灰が降るから大変と、さんざん脅されて行きましたが、運良くその間は数回しか大きな噴火はなく穏やかな桜島を眺めつつ生活できました。

 城山から望む桜島は絶景です。薩摩藩は歴史でも有名ですが、言葉をわざとわかりにくくしている為おばあちゃんとかとの会話がなかなか大変でした。この3月に新幹線も繋がり岡山からも3時間で着くようです。

 6年前からここ福岡で暮らしています。が、思いがけず岡山との縁が深いことをしりました。福岡城(舞鶴城)は初代福岡藩主の黒田長政が築城したものですが、もともとの地名「福崎」を黒田家再興の地である備前国、つまり岡山県にちなんで「福岡」(*1)と改め、これが現在の福岡市の由来となっているそうです。

 私が暮らしている所は、この舞鶴城や長渕剛の曲にも出てくる大濠公園,護国神社などの近辺で、環境も便利も良いところです。バス環境が整備されていて西鉄バスは日本でも屈指の保有台数を誇っているだけあり、混雑は否めないものの便利さは九州他県の比にはなりません。そして外せないのがやはり食、トンコツラーメン、屋台、水炊き、もつ鍋、意外に知られていませんがうどん、そばの発祥の地でもあります。

大濠公園

福岡城(舞鶴城)跡 護国神社


 そんな便利な環境と、子供達も手を離れてきたのとで、18年ぶりに仕事を始めました。まずは社会へのリハビリで、高校の学食で3年,我が子と同世代の子供達相手で楽しく働いていましたが、末っ子が中学校に進学した頃、市の嘱託職員での小学校給食へ変わりました。

 時代は変わって今の給食は世界の料理、例えばメキシコ、韓国、フランスと多彩であり、食材も殆どを国産そしてスープも鶏がらから、と驚く事も多くあります。飽食の時代はやはり反映されて、残食が多いのは残念なことですが。 やたら食べ物の話が多くなりましたが、九州での暮らしは結構快適です。皆さん是非九州ものんびり回ってみてください。



 註 *1 現瀬戸内市長船町福岡 →地図

 

   
岡山朝日高校同窓会公式Webサイト