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国内で活躍する同窓生(敬称略)
柴田 昌聰 (昭和51年卒) 千葉県四街道市在住

知財の仕事、田舎の生活、雪の世界の遊び

事務所の同僚と北京旅行(後列の左から二人目が筆者)
 

1.緒
 私は、岡山朝日高校を昭和51年に卒業して以来、学生時代には東京に6年間住み、就職後は千葉県に住んでいます。今住んでいる四街道市には平成5年に引っ越して来ました。四街道市は千葉市の東隣にあります。

 大学卒業と同時に就職した製鉄会社に約13年間勤務した後、平成7年に特許事務所に転職し、平成9年に弁理士となって、現在もその事務所で知的財産(知財)関係の仕事をしています。この事務所は東京の銀座にあります。

 自宅(千葉県四街道市)と事務所(東京・銀座)との間の移動には、バスと電車を利用して1時間40分程も要します。しかし、今では、この通勤時間の長さが仕事や生活をする上でメリハリを与えているのではないかと思えてきています。 つまり、電車に乗っている時間を含めて自分の時間を有効に利用することや、遊びや余暇の時間と仕事の時間とを明確に区分けすることを心掛けていけば、長い通勤時間も悪くないのではないかと考えています。

 以下では、東京・銀座という都会での仕事に関する話題、四街道市での田舎生活の話題、遊び又は趣味の話題、をお話します。

2.職
 今の職業に転じたのは、製鉄会社勤務時代に自分の将来について考えるところがあったからです。その当時、このまま会社員として仕事を続けていれば不足無い生活を送ることができるだろうと安穏に考える一方で、会社という巨大システムの中の一部品として生きることに対して疑問を感じ、また、できることなら自分の時間を自ら支配して仕事も生活もしたいという願望があって、転職を決意しました。

 その後、知財関係の仕事をしつつ平成9年に弁理士となりました。弁理士になるには国家試験に合格する必要があります。そのために、受験指導機関に通ったり、分厚い書籍を読んだり、先輩や勉強仲間から貰った資料を読んだり、長い通勤時間を有効に利用したりして、あんなに勉強したのは大学受験勉強以来のことでした。

 その頃に思い出したことは、岡山朝日高校の校風、すなわち、生徒の自主自立の姿勢を尊重する精神、そして、その校風の一側面が端的に現れていたと思われる宿題無し、つまり、勉強を自ら進んでやれ、その裏返しとして、遊びたければ勝手に遊べ、という校風です。このような校風に馴染んでいたからこそ、30歳代後半での受験勉強に耐えられたのではないかと思っています。

 弁理士となってからも勉強は続いています。何故なら、昨今の産業構造の変化や知的財産権保護の関心の高まりから、弁理士が扱うことができる範囲が拡大しつつあり、また、毎年のように法改正があるからです。例えば、この数年の間に、ソフトウェアに対して特許権が与えられて保護されるようになったり、特許権を侵害した者に対する罰則の規定が強化されたり、特許権侵害訴訟において特許権者にとって有利な規定が設けられたりと、特許法だけでも多くの改正がなされています。特許法だけでなく、実用新案法、意匠法、商標法、不正競争防止法でも、保護対象が拡大されたり、権利者にとって有利な規定が設けられたりしています。

 また、数年前の法改正により、特許権等侵害訴訟事件において弁理士も訴訟代理人となることができるようになりました。ただし、これまでの弁理士は民法や民事訴訟法に疎く訴訟事件の経験も無い者が殆どですから、侵害訴訟事件における訴訟代理の資格を得るには、その為の国家試験に合格しなければなりません。ということで、またしても受験勉強です。まず、半年の間、週に2日のペースで、仕事が終わってから18時から21時まで大学の特別講義を聴講するなどして、民法と民事訴訟法の基礎を勉強しました。また、訴訟代理の実務(例えば訴状の書き方)も勉強しました。その上で平成16年に試験に合格することができました。 このように今なお勉強を続けながら知財の仕事を続けています。

 さて、その仕事のことですが、仕事をしていく中で様々な企業や様々な技術に接することができます。その中には、最先端の技術を開発している先進企業もあれば、最先端とは言えなくても地道な技術改良をして堅実な路線を歩む企業もあります。この仕事をしていると、新しい技術に触れることができる喜びだけでなく、各々の企業の考え方あるいは風土の違いというものが見えてくる密かな楽しみもあります。また、特許権という権利を巡る攻防に携わるときには図らずも昂奮を感じることがあります。知財の仕事はエキサイティングな一面を持っています。

 また、転職時に期待していたことが叶って、会社勤務時代とは比較にならないほど今では自分の時間を自ら支配しているという実感があります。勿論、仕事をする際には様々な企業の人に接しますから相手の都合も考慮しなくてはいけませんし、また、仕事には期限がつきものですから世間の休日に仕事をすることもあります。それでも、仕事だけでなく遊びについても自分の時間を有効利用するために自分でスケジューリングをすることができます。このことは、この仕事へ思い切って転職したお蔭であると考えています。

3.住
 私が住んでいる四街道市は、主な産業が農業で田園風景が広がっている一方、近年開発された住宅地では東京通勤者が多く住んでいます。私が住んでいる地区は、日常生活では不便な点が少ないものの、自然が多く残っています。

四街道市の樹齢400年の枝垂桜(自宅から散歩圏内にある福星寺)
 

 近隣は住宅地であるにも拘わらず、ちょっと離れたところに林や田畑があって、春には、庭の梅の木にメジロが訪れ、林からキジやウグイスの声が聞こえ、空からはヒバリの声が降ってきますし、また、夏にはセミの大合唱が轟き、秋の夜にはコオロギやマツムシなどの大演奏が響きます。こんなところですから、休日には都会の喧騒から逃れて自宅で寛いでいます。時に田園風景の中を散歩するのも楽しみの一つです。

 こんな自然に囲まれた環境の中で、決して広くない自宅の庭の一角に小さい畑を作って家庭菜園をしています。土ならし、草取り、支柱立て、水やり等の畑仕事をすると、汗だくになり、翌日には筋肉痛になります。ところが、この汗と筋肉痛は実に心地よく、汗をかいた後のビールは最高に美味い。収穫した野菜は、無農薬で安全であること保障つきで、これまた美味い。今この原稿を書いている夏の季節には、こんな楽しみがあります。

 これらは、都会から離れた田舎であるからこそ可能なことです。田園風景の中を散歩しているときにも、汗まみれで畑作業をしているときにも、無心状態になって一時的にであっても仕事のことを忘れることができて、ストレス解消に役立っていると確信しています。

4.遊
 次に、仕事や田舎生活とは別の遊び又は趣味のことについてお話します。
 平日(主に金曜日)には、仕事が終わった後、東京の銀座や丸の内の辺りで仕事仲間らと食事したり飲んだりすることが時々あります。銀座のお店というと高級イメージがあるでしょうが、手頃な価格で美味しい食事やお酒を提供してくれるお店も少なからずあります。勿論のことですが私が行くのは後者のお店です。そんなお店で美味しい食事をつまみながら美味しいお酒を飲んで寛げるひと時は、仕事の息抜きとして貴重な時間となっています。

苗場スキー場にて(左端が筆者)
 

 もう一つ趣味の話としてスキーのことをお話します。私が初めてスキーに行ったのは高校1年生のときの岡山県の恩原高原スキー場でしたが、そのときには立つことさえも怖くて全く滑ることができませんでした。2回目にスキーに行ったのは25歳頃の白馬乗鞍スキー場です。このときに私はスキーの楽しさを知ることができ、これ以来ずっと続けています。前の会社に勤務していた頃は、白馬乗鞍をベースにして、その近くの栂池高原や八方尾根へ行っていました。近年では、志賀高原、蔵王温泉、上越などへ行っています。

 私がする運動といえば、歩く事と畑仕事とスキーくらいのものです。その中でもスキーは、日常の仕事や生活から離れた雪の世界で戯れることができ、非日常の世界で遊ぶことで日常を忘れることができます。また、一緒に行く仲間とはスキー滑走だけでなく宿で飲食を共にすることも楽しみです。

 私が10年程前から参加している或るスキー仲間のグループは、20歳代の方から喜寿の方までと年齢の幅が広く、何れの方々も仕事にもスキーにも情熱を持っています。そういう方々と共にスキーを楽しみ、彼らからスキー滑走技術を教えてもらい、また、彼らと宿で飲食を共にするときには、スキーを続けていてよかったと思いますし、また、今後も出来るだけ長くスキーを楽しみ続けようと思っています。

5.結
 仕事のこと、生活のこと、遊び又は趣味のこと、これら3つは各々独立には成り立ち得ないことであると考えています。つまり、これら3つのうち1つが欠けると他の2つも脆く崩れるだろうと、そして、これら3つがバランスをとって成り立っていることが重要であろうと、私は、こんなことを考えながら、日々健康に留意しつつ過ごしています。


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