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国内で活躍する同窓生(敬称略)
松原 幸夫(昭和48年卒) 新潟市五十嵐在住

11  月  の  桜

 昨年の春に東京にある会社を早期定年退職し、新潟の海辺にある五十嵐という町にやってきました。自然の多い地方のまちで暮らすことは、長年の夢でした。ここで今、まちづくりの仕事をしています。新潟は、岡山と同じくらいすばらしいよいところです。以下思いつくまま、新潟のこと、朝日高のことを書かせていただきます。

日本海に浮かぶ佐渡島
日中の砂浜

 家は海のすぐ近くにあり、5分ほど歩いていくと目の前に日本海の水平線が広がります。ずっと砂浜が続いており、右を見ても左を見ても何キロも人が一人もいないこともよくあります。勤め先は、陸側へ歩いて10分ぐらいのところにあり、途中人と会うこともまれです。途中で猫が道の真ん中で、のんびりと横たわっていることがあります。その先の坂道の左上方に馬小屋があり、5頭の馬が窓から首を出しています。私が歩いているのを見おろして見ているようです。こちらが顔を上げて馬のほうを見ると、馬はさっと目をそらします。その先は左側が森になっており、右側の農園には山羊がおり、今年生まれたばかりの3匹の仔山羊と一緒にいます。

 カッコーや雉や様々な野鳥の声がきこえます。雉はとても大きな声で鳴きます。本物を見たのは初めてです。「雉も鳴かずば討たれまい」という諺がありますが、その意味がはじめて分かりました。雉は草むら深く隠れていてなかなか見つけることはできません。しかし、鳴き声があまりに大きく遠くまで鳴り響くのです。時々つがいでバタバタと目の前の道を横切っていくこともあります。

 すぐ近くに桑の木があり、綺麗な新緑の葉の中に赤い実をつけます。少し黒味がかっていて初めは少し抵抗があるのですが、食べてみるとなかなか美味しいです。
 
 夏の新潟の浜辺はどこも、瀬戸内海の浜辺よりも波静かで、雲ひとつない青空が広がり、人も少なくよいところです。佐渡の尖閣湾、笹川流れ、弥彦山などもこんなところがあったのかと思うくらいよいところです。

  五十嵐の夕暮れ

しかし冬は「五十嵐」の名のとおり、風が吹き荒れることがあります。冬の間、10回ぐらい激しくふぶくことがあります。そのときは、丸一日吹き続き、車のドアが風にあおられて、吹き飛ぶのではないか思ったこともあります。右の写真は、五十嵐の秋の夕暮れを子ども達が撮ったものです。冬場に吹雪に立ち向かっているせいか、松の姿が美しく気に入ってます。
 
 このあたりは、他の日本海側と異なり冬場でも半分くらいは晴れていて、その澄み切った青空が素晴らしいです。目の前に佐渡島があるのですが、ここに北風が一度ぶつかって、雪を落としてから五十嵐にくるので、ここは冬でもわりと良く晴れているようです。五十嵐の冬はおもしろく、朝雲ひとつない快晴だと思ったら、お昼頃から雹が降り出し、雷がガラガラと鳴り出したかと思うと、雪がしんしんと降り積もり、一面雪景色に変わります。そして夕方また晴れて、きれいな夕焼けが見えることもあります。
 

11月の桜(新潟大学) 


 11月に桜の花が咲くことも、こちらに来て初めて知りました。これから冬に入ろうとして身構えているときに、可憐な花がぽっと咲き出すのです。何ともいえず心温まるものがあります。この花は春にまたもう一度花をつけます。

 こちらは岡山と同様、食べ物が何でもおいしいです。味付けも岡山の味によく似ていると思います。また、お米はどんな場所で食べてもおいしいと思います。新潟の子どもたちは、中学の修学旅行で他県へ行き、そこで初めて新潟のお米がいかにおいしいか知るとのことです。

 私が特に気に入っているのは、のっぺと栃尾の油揚げと黒崎茶豆(枝豆)です。新潟の酒は「三梅」が有名ですが、これらに負けないくらいおいしいお酒が沢山あります。その中には生産量が少ないため県外には知られていないで、ここだけで愛飲されているものもあります。去年の12月にその年の新米でつくったはじめてのお酒をしぼるところを立会い、原酒を試飲しました。それはシャンペンのように発泡していて、味も香りも、酔いの広がりもすばらしいものでした。

 お祭りは、春祭り、盆踊り、秋祭りがあり、昔のままのやり方でやっております。特に驚いたのは「新潟総踊り」です。今年は9月の16、17、18日に開かれますが、新しい「新潟の躍動」を感じとることができます。江戸時代の新潟の踊りを再現した「下駄踊り」も力強くあでやかで、江戸の気迫がよみがえります。

 レストランは、よいところはいろいろありますが、特に角田山ふもとにある「カーブドッチ」がおすすめです。オーナーは鹿児島の方で、日本中を旅行して回り、最後にここにワイナリーを作ったとのことです。6月にはバラやハーブが満開になります。

朝日高校の思い出

 同窓会には、もう十数年ご無沙汰しており、母校とのつながりが薄くなってきております。朝日高校のときは、操山の山腹にある緑に包まれたお宅で下宿させていただきました。クラブ活動はしておらず、片道20分くらいの道を歩いて通っていました。朝日高校での暮らしはとても楽しかったのですが、どこがどうよかったかと聞かれてもうまく書くことができません。ただ、あたり前に授業を受け、友と語らい、行き帰り散歩しながら帰って、宿題を済ませ、その後は読書をしていました。書いてしまえばそれだけのことですが、友達と先生方とともに過ごしたゆったりとした時間の流れが忘れることができません。今でもよく覚えているのが、学校の北側に広がるレンゲ畑を通って学校に通ったことです。

 家の中に何か朝日高に関係のあるものはないか探していたら、家内が二つ見つけてきました。一つは長尾君がくれた備前焼の湯呑、もう一つは、葉上照澄先輩からいただいた書です。いずれも我が家の宝物で、とても大切にしています。
 その墨跡は、坂本のお寺を知人に誘われお訪ねしたときに、いただいたものです。そのときは、ちょうど中東の和平のために、エジプトのサダト大統領にお会いになって帰国された直後でした。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を彷彿とさせるご活躍ぶりでした。葉上先輩は、高校野球にも大変ご熱心で、関西のプロ野球の某監督もよくお話にみえるとのことでした。

 同窓会にはあまり顔を出していませんが、母校に対する感謝の気持ちはいっぱいです。この新潟の地に来たのも、自然に恵まれた地方都市ののどかな生活への憧れがあったからかもしれません。

 また、先の地震や大雪や水害では、皆様から、様々なご支援、お心遣いをいただき、深く感謝しております。おかげさまで、新潟も回復に向けて着実に歩き出してきております。

 最後に、母校のますますの発展と、皆様のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。


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