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国内で活躍する同窓生(敬称略)
大野 美代子(昭和33年卒) 東京都渋谷区在住

美 し い 橋 を 架 け る

  鮎の瀬大橋(熊本県)

 「デザイン」という言葉も今では日常的に使われるようになったが、デザインにも様々な分野がある。本やポスター等、印刷物に対するグラフィックデザイン、テレビや自動車等、工業製品に対するプロダクトデザイン、住宅や店舗等の建物に対するインテリアデザイン等。


 私が手掛けているのは「橋のデザイン」である。橋や道路をはじめとする土木の世界では、これまで機能を満たす構造を主体に設計され、「デザイン」としてアプローチされていなかった。そのため、私はその分野のデザイナーとしてパイオニアの一人といわれ、数多くの橋づくりに参加してきた。


 子供のころ絵の好きだった私は、倉敷の大原美術館によく通っていた。勿論、自分でも絵を描いていたが、根本的に美しいものが好きだったのであろう。その上、技術者であった父の影響か、ものづくりにも興味があり、朝日高の2年生の頃には、早稲田大学の建築科を受験したいと思っていた。ところが女性が建築家になるのは難しいと父に反対された。

  鮎の瀬大橋(熊本県)

というのは、その頃の建築の現場は、女性が立入りしにくい状況があったためである。そこで建築より細やかなデザインの分野を目指すことにした。当時の朝日高はバリバリの受験校で、デザイン科のある美術大学を受験するのは私くらいのもので、少々毛色が変わっていたのかも知れない。


   鶴見橋(広島市)

 大学ではデザインの分野の中でも最も建築に近い、インテリアデザインを専攻した。その後、スイスの建築事務所で働いたが、丁寧にデザインされた美しい建物や、新旧の建物をうまくミックスした美しい街並みを見て暮らしたことが、私の進路に大きな影響を与えたのである。


 帰国後、老人病院や精神病院などのインテリアデザインの仕事をしていた私に、土木の世界から歩道橋のデザインをしないかと誘われた。街並みの中で美しく、人々が快適に利用できる橋、そのような橋づくりにデザイナーの協力が必要になったのである。


 それから30年、手掛けた橋も大小様々、歩道橋から鉄道橋まで用途も様々である。港の橋、街中の橋、山中の橋と架かる場所も違えば、北は北海道の旭川から、南は沖縄まで全国各地に橋を架けてきている。


  宍道湖大橋(松江市)

 九州でいえば熊本県の鮎の瀬大橋、県の文化活動であるアートポリスプロジェクトの一つで、指名を受けてから完成まで10年に亘った。2002年土木学会デザイン賞最優秀賞を受けた私の代表作である。おまけにその橋の連結式に出席していた施工会社の代表者が、朝日高の同級生という出会いもあった。
 長崎では、港の入口にかかる女神大橋をデザインしたが昨年末に開通し、また現在、離島へ渡る橋が施工中である。


 中国地方では、広島県の鶴見橋−平和大通りの東の入口に大きな広場付の橋をデザインした。この橋は1990年に開通し、都市景観大賞を受賞。松江市の宍道湖大橋は、島根県の「景観グレードアップ事業」の第一号として指名されたもので、橋の取付部の地下道も一体にデザインして、快適な歩行ルートづくりをテーマにした。


 横浜ベイブリッジ(横浜市)
 関東地方では、何といっても横浜ベイブリッジ。
 1980年にデザインし、1989年に完成したが、今や港町横浜のシンボルとなっている。横浜市では歩道橋のデザインも多い。この7月のはじめ、早稲田大学で行われるパブリックデザインのシンポジウムに招かれているが、横浜市の都市デザインと歩道橋との関わりについて話をすることになっている。


 このように様々な地域の橋づくりに参加して、地域の風景を大切にしながら、市民生活に根ざした橋づくりを目指してきた。そしてそれが実現できたのも発注者、デザイナーを含む設計者、施工者、そして市民の皆が橋の美しさに対する共有の価値観を持っていたおかげである。

岡山市からも父の転勤に伴って離れてしまったが、私の育った街がどうなっていくのか、常々気になっている。
 特に住まいに近かった烏城やその付近の旭川の風景は私の「原風景」である。散歩コースであった後楽園側に渡る歩道橋や、朝日高への通学に毎日通った相生橋、そこから見えた風景とともに履いていたバスケットシューズの歩行感覚が蘇ってくる。それらの橋は今はどうなったのだろうか。一度は育った街の橋のデザインをしたいものである。
  市場通り橋(横浜市)


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