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大橋 洋治 (昭和34年卒) 


生誕200年記念講演「山田方谷に学ぶ経営改革」


山田方谷(やまだ・ほうこく)略歴 

 1805年生〜1877年没 高梁市中井町西方に生まれる。4歳で新見藩儒・丸川松隠に入門。
 両親の死去で、家業の菜種油販売業を継ぐが独学を続ける。
 20歳で備中松山藩主・板倉勝職に見出され、奨学金を受けて藩校・有終館で学ぶことを許される。
 4度の京都・江戸遊学を経て、31歳で勝職の養子・勝静の家庭教師になり、藩財政の責任者・元締役兼吟味役に抜擢され、前代未聞の藩政改革を成し遂げる。藩政改革の成功で、勝静は寺社奉行・老中に上り詰める。 
 生涯、次代を担う若者の教育に情熱を注ぎ、長岡藩・河井継之助や二松学舎大学創設の三島中洲など幕末から明治にかけてのリーダーを育てた。

全日空会長 大橋洋治(昭和34年卒)による講演会の要旨 

講演中の大橋洋二さん
方谷との出会いと全日空勤務

 
戦後、満州から父母と引き揚げ、高梁市で約5年間過ごした。この時、山田家を継いだ白髪の立派なお年寄りで漢詩をうなる山田準さん(五高・七高教授、二松学舎学長、帰郷後は高梁市大工町に居住)を介して、山田方谷が財政破たんした備中松山藩を立派に立て直したすばらしい人だということを子供心に知った。

 これが山田方谷との出会いの幕開けだった。準さんの漢詩の声と方谷の掛け軸が家の家宝になっていることぐらいしか記憶に残っていない。その後、中学、高校は岡山市で過ごした。

 大学卒業後は岡山と関係の深い全日空に入社した。当時は、美土路昌一会長、岡崎嘉平太社長、福本柳一副社長と岡山県出身者で半分安心した気持ちだった。

 入社二年後の1966年2月4日、当時全日空には二機か三機しかなかったジェット機が羽田沖に墜落する事故で129人が亡くなった。同じ年の11月13日には松山沖で事故を起こした。年間2回も事故を起こし、会社がつぶれるのではないかと危機感を抱いた。さらに入社6年目で雫石(岩手県)の事故があった。私の気持ちの中には安全だけは守っていかなければならないという思いがいまでも根付いている。

 いまグループ全体で二万六、七千人の従業員がいるが、安全理念の共有化は入社以来のDNAだ。事故に学び二度と起こさない、事故の教訓を風化させてはならないと、毎年物故者慰霊祭を営んでいる。58年の下田沖、63年の八丈富士、そして東京湾、松山沖、雫石、と五つの事故を教訓に、いつも忘れてはいけないと頑張っている。

 社長になる前の二年間、副社長として営業を担当。その二年前は常務で人事・労務を任された。その前の二年間は取締役ニューヨーク支店長。一番楽しい時代だった。本社に帰ってきて労務担当として乗員組合と交渉、98年には国際線で15日間のストライキがあり、各方面に大変な迷惑をかけた。今も私の中では汚点となっている。今度は、副社長兼販売本部長として営業を担当。ぼろぼろだった国際線、国内線をグループ一丸となって立て直そうと努力し、何とか2000年には収支が好転した。

社長就任と方谷との‘再会’

 01年、私に社長のバトンタッチがなされた。明るい展望のもとで社長業を前進させることが出来ると内心思っていた。ところが、9・11同時多発テロの勃発で、航空業界は様変わりした。その後、わが国では航空会社2社の統合が発表され大変な時期を迎えた。

 社長に就任してから、いろんな人から「山田方谷は偉い人で、上杉鷹山よりもっと偉いんだぞ」という話をうかがった。そういえば、昔、山田準さんが詩吟をうなっていたことが思い出されて、「山田方谷を勉強してみよう」と始めたのが、郷土の偉人・方谷との‘再会’となった。

  「炎の陽明学―山田方谷伝―」(矢吹邦彦著)や「山田方谷」に学ぶ財政改革」(野島透著)などを読んだ。その中で、非常に勉強になったのが、方谷の言葉の中身だ。私がその中で一番感銘を受けて、これを精神の中に入れなければ会社の構造改革ができないぞと思ったのは、「総じて天下のことを制するものは、事の外に立って事の内に屈してはならない」(全般を見渡す見識を持って大局的な立場になって事をやりなさい、一時にかかわらず部分最適ではなくて全体最適で事を運びなさい、退路を断って背水の陣をしいてやりなさい。)だった。

 私も「退路を断ってやろうじゃないか」と皆に訴えた。「退路を断ってやる」「背水の陣」といったって、みんな後にはもう何もないんだ、という意識がない。真に「退路を断つ覚悟=山田方谷の精神」を基本に取り組んだが、ANAグループが不退転ですすめている構造改革の走りだった。

経営理念・経営ビジョン

 後がない点では、方谷が生きた時代と同じで、厳しい経営環境の中でまず手掛けたのは、経営理念、経営ビジョンの樹立だった。

 01年後半はグループ全員で取り組んだ。これまでは、岡崎元社長、美土路元会長が唱えていた‘和協’という精神があった。しかし、仲良しクラブのようで、浸透はしても力が発揮できないようだった。激動の時代に‘和協’では弱いとのことで、新たな経営理念を作った。「ANAグループは『安心』と『信頼』を基礎に・・・・」という経営理念と、理念を遂行するためのグループ行動指針六カ条を、名刺大に印刷し常にポケットに持っている。

 そして、羽田空港が再開発されて1本新たに滑走路ができる09年までに、「アジアで一番になるような航空会社に築き上げていこう」という経営ビジョンを掲げた。

 アジアで一番とは何かというと、三つある。一つは品質だ。二番目はお客様の満足。三番目は企業の価値創造で、これは収支をよくすることだ。JAL・JASの統合で量の競争では負けてしまう。質の競争で勝っていこうということだ。

 質を良くして、サービスを良くして、安全に徹すれば、お客様にANAを選択していただける。選択していただいたら、お客様の満足をどうすればよいかを考え、顧客満足を得られていくような基盤ができる。基盤ができてお客様がANAを選択していただければ経営収支もよくなる。

 その前に、グループ全体が一丸となってやるためには、経営理念と経営ビジョンの共有化がぜひとも必要だった。それで始まったのが‘ダイレクトトーク’だ。私が経営理念と経営ビジョン、経営戦略について述べる。会場から「社長の話は違うんじゃあないか」などいろんな意見が出る。数百人であったり5,6人であったりするが、2時間くらいかけて、侃々諤々やる。これまで6000人くらいと話をした。02年に始め、2年間でやり遂げるつもりだった。

 当時、伊藤忠商事の丹羽社長、キャノンの御手洗社長に話したら「大橋さん甘いよ。その場が終わるとみんな忘れてしまう。何回もやらないとダメだよ。」と言われた。しかも、理念・ビジョン共有化のためには、毎回同じ事を言わなければならない。私は非常にこれが苦手だったが、舞踊家の岩井友見さんから、「舞台の上で毎日同じ事をやっている。そこで磨きがかかって、昨日より今日がよくなる。お客様の目の輝きも分かってくる。同じ事をやる事も重要なの」と教えられた。ダイレクトトークは終わりがないと思っている。

 4月からは会長になり、皆さんとお話できる機会が増えると思う。こうした中で山田方谷の精神を十分お話できれば、方谷の偉大さがもっと分かってもらえるのではないか。

 大手損保会社相談役の樋口公啓さんは、母校の大学院に進み、方谷を研究、修士論文を仕上げたといって大作を見せてくれた。
儒教や陽明学を勉強している人は方谷を知っているが、ここまでの人は少ない。政・財界とりわけ財界で方谷を取り上げ、構造改革に結び付けている人はあまりいないのではないか。自分がやっている仕事の中で、「方谷の精神」がどのように生かせるのかということが大切ではないかと思っている。

 03年、七期ぶりに復配を達成でき、04年度には悲願だった国際線の黒字化も実現できる見通しとなった。グループ全体の努力でもあるし、選んで頂いたお客様のおかげで、さらに頑張ろうと昨秋から給与明細書の表面にお客様から頂いたおほめの言葉を印刷している。

2009年への経営戦略

 業界は今後どうやっていくのか−話に移る。

 航空業界は変動性に弱い体質を持っている。同時多発テロでいっぺんにしぼんでしまう。イラク戦争、SARS(新型肺炎)、鳥インフルエンザ、現在の原油高騰など、非常にピンチだと言われている。

 企業戦略として、3年前からコスト構造改革−変動性にたじろがない企業をめざし、固定費の変動費化を進めている。03年度から05年度までに、人件費200億円、事業構造改革の中で100億円の計300億円のコスト削減を目標に始め、2年間で達成した。さらに中期戦略として、フリート戦略(機種統合)&リソース戦略(運行費用の構造転換)を進めている。9種類ある機種を3、4種類に集約し100億円のコスト削減をする。

 コスト構造改革は日常的になっているが、コストばかり言っていると力がだんだんなくなってくる。力をつけるためには、いかに収入を伸ばすかだ。09年の羽田空港滑走路増設で、年間12万回、離着陸回数が増える。このうち3万回が国際線になると発表されている。国内線は1日170便程度でANAは現在160便前後だから一つの会社が増えるようなものだ。国際線は、3万回から5万回に増えるのではないか。そうなれば国際線最後発のわが社にとってチャンスだ。

 「アジアで一番の航空会社」を目指す09年には、営業収益を1200億〜1300億円にしないとだめだと言っている。まだまだ「天の時」は至らずで、「地の利」もそうだ。アジア一番の航空会社へ向け、養われてきた‘人の和’‘ANAらしさ’を合言葉に頑張っていく。

 最後に、私が経営に携わって、まだまだそこに至っていないと思えるのが、方谷が言っている「義を明らかにして利を図らず」という言葉だ。
景気がよいときはこういえるかもしれないが、ちょっと景気が悪くなると「さあ・・・」で、さっき申し上げた1000億だの1300億円だのとなってくる。

 方谷の言う「義を明らかできる」会社にしたい、これは私自身の課題であり、グループの課題でもある。義を明らかにすればおのずと利がついて来る−こういうことを皆が分かるような企業にするのが夢であり、果てしない夢だ。

 
 
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